沖ノ島 世界遺産に推薦された絶海の孤島とは?

島国である日本には無人島がたくさん存在しています。

その数はなんと6,400以上。

有名なところでは太平洋戦争で激戦地になった硫黄島、世界遺産になった長崎県端島(軍艦島)などがあります。

そんな無人島のひとつである福岡県の沖ノ島が文部科学省文化審議会によって世界遺産としてユネスコに推薦することが決まりました。

「おきのしま」という地名はよく聞くのですが、いったいどんな島なんでしょうか?

沖ノ島とは?

「おきのしま」と呼ぶ島は、千葉県館山市や和歌山県有田市などにたくさんあり、「沖ノ島」と表記されています。

もっとも耳に馴染んでいるのは島根県にある隠岐島だと思いますが、ここで話題にする沖ノ島は福岡県宗像市(むなかたし)にある

九州から60キロほど離れた玄界灘に浮かぶ孤島です。

 
周囲は4キロほどで地図で見ても点にもならないほどの小さな島です。
 

島全体がご神体

沖ノ島は「神が住む島」とされ島全体がご神体となっていて、田心姫神(たぎりひめ)が祀られています。
 
縄文時代のころから漁業基地として利用され、荒れる玄界灘を鎮めるために4世紀ころから祭祀が500年ほど行なわれていたと見られています。
 
そのころの祭祀遺跡が10万点も見つかっていて、沖ノ島は「海の正倉院」とも言われています。
 
そしてその祭祀は今の時代に延々と引き継がれています。
 
 
しかしまぁ今から1500年以上も前によくもこんな孤島に行こうと思ったものですね。
当時の人達のバイタリティに感心してしまいます。
 
それとともに、そのころのお祭りごとが現代も行なわれていることに歴史の重さを感じます。

女人禁制が守られていた島が男性も禁止に

沖ノ島は昔から厳しい女人禁制が守られていました。

その理由は神道では血液をけがれのあるものとしていて、生理がある女性が島に来ることを禁止したとか、沖ノ島への渡島は危険で小人を生む女性を島に渡らせなかったなどと言われていました。

かっては宗像大社(むかなたたいしゃ)の神職が10日交代で常駐していました。

そして、5月27日の大祭のときは抽選によって選ばれた200人の男性が島に上陸することを許されていました。

しかも、島に上陸する前に全裸で海中に入り禊(みそぎ)をしなければなりません。

5月27日は春とはいえ、海水温はまだかなり低い時期です。

いくら上陸を希望したと言ってもキビシイものがありした。

ところが世界遺産への推薦にあたり、この女人禁制ということが問題になると思われました。

そこで宗像大社は遺産の保全に関して話し合い、大祭への一般男性の参加も禁止することとしました。

これで沖ノ島へは神職や学術調査をする研究者しか上陸することができなくなってしまいました。

沖ノ島でのタブー

沖ノ島にはしてはならないことが厳しく定められています。

お言わず様

沖ノ島は現地で「お言わず様」とも呼ばれていて、島で見たり聞いたりしたことを語ってはいけないことになっています。

そのため、女人禁制のこの島で過去にどんなことが行なわれていたのかは知ることができません。

一木一草一石たりとも持ちだしてはならない

島のものは何も持ちだしてはならないという掟です。
 
この掟があったからこそ、祭祀遺跡がたくさん残っているわけです。
 

四本足の動物を食べてはならない

牛や豚など四本足の動物は食べてはいけないということです。
神職さんは鶏肉を食べているんでしょうか?
 
一般人が入島できくなってしまってはこんなタブーも必要なくなってしまいましたが、このタブーによって沖ノ島は人の手が入っても1500年以上も前の姿をそのまま残していたのだと思います。

沖ノ島への行き方

上でもご紹介しましたが、かっては宗像大社の大祭に参加する男性の200名に選ばれれば沖ノ島に行くことはできました。

でも今は神職の人か学術調査の研究者しか行くことはできません。

沖ノ島は遠くから見ることしかできず、沖ノ島が含まれるツアーに参加して海上や大島などから遥拝(ようはい)することになります。

まとめ

・沖ノ島は九州の玄界灘にある周囲4キロほどの孤島で世界遺産に登録されている

・沖ノ島では1500年も前の祭祀遺跡が10万点も見つかっている

・女性も男性も一般人は入島禁止

・沖ノ島にはさまざまなタブーが存在する

今どきこんな島があったのかと思えるのが沖ノ島です。

たくさんの祭祀遺跡も見つかっているので、古い神仏信仰の祭祀を残すところとして世界遺産に登録されたのはもっともだと思います。

世界遺産に登録されてもしきたりは残され、立ち入りもできなくなるので沖ノ島は現状のままずっと保護されるでしょう。

多くの人が一度行ってみたいと思うでしょうが、今となって研究者にでもならない限りはそれも無理でしょう。

昔から大切にされてきたこういった場所はずっとそのままひっそりと残り続けて欲しいものです。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。