毎年夏になり原爆記念日や終戦記念日が近づいてくると、多くの日本人は戦争の悲惨さに思いを巡らせ、日本国憲法のおかげで日本は戦争と無縁であることを再認識し今の日本が平和であることに感謝しています。
集団的自衛権を巡って憲法解釈の議論がたびたび起こり、日本の閣僚が靖国神社に参拝すると中国や韓国は「時代に逆行する行為で侵略的思想の表れだ」などと反発します。
国会議員も多くメンバーになっている「日本会議」は日本国憲法の改正を標榜しているようです。
さらに多くの国会議員がメンバーになれば日本国憲法改正という事態もあり得ます、
日本国憲法がどうなるのか、という問題の前に日本国憲法が施行される前にあった大日本帝国憲法がどんなものであったか、日本国憲法と何が違っていたのか、何を目指していたのかについてみてみたいと思います。
大日本帝国憲法の制定
大日本帝国憲法は初代内閣総理大臣となる伊藤博文らがプロイセン(ドイツ)の憲法を参考に草案を作り、約10年の歳月をかけて1889年(明治22年)2月11日に発布され翌1890年(明治23年)11月29日に施行されました。
このため大日本帝国憲法は明治憲法とも呼ばれています。
そして日本国憲法が施工される1947年5月3日の1日前、1947年5月2日まで一度も改正されることなく半世紀以上施行されました。
大日本帝国憲法制定の背景
長い間徳川幕府のもと、鎖国政策を取っていた日本でしたが1854年にペリーが率いる米国艦隊が二度目の来航をし、日米和親条約を締結して鎖国が終わったのはみなさんご存知ですね。
その後1867年に徳川幕府第15代将軍の徳川慶喜が天皇に統治権を変換する大政奉還が実施され、天皇が統治権を取り戻して明治維新によって翌年の1868年が明治元年となります。
そのころの日本には、海外の民主主義の思想がどんどん入ってきて国民の自由と人権を要求した国民運動の自由民権運動が起こります。
自由民権運動は10年ほどで衰退してしまいますが、明治政府は力を増す列強諸国に対抗するためと国民運動の高まりを受け、憲法を制定することが必要であると考えるようになります。
そんな状況のなか、明治天皇は1876年に当時の立法府だった元老院に対して「国憲(憲法)を定めるから草案を作りなさい」と指示、これを受けて伊藤博文らがヨーロッパに渡って各国の憲法を調査・研究し帰国後に草案を作成しました。
このように激しい変化を迎えた国内外の情勢のもと明治天皇の命により作られたのが大日本帝国憲法です。
大日本帝国憲法と日本国憲法の違い
日本国憲法は第二次世界大戦に無条件降伏した日本が連合国軍の最高司令官マッカーサーの監督下で1946年11月3日に公布、翌年の5月3日に施行されました。
大日本帝国憲法と日本国憲法の大きな違いは
- 天皇の存在意義
- 戦争の放棄
この2点です。
順に見ていきましょう。
天皇の存在意義
(画像引用元:http://vexiclub.client.jp/081-100.htm)
大日本帝国憲法は天皇が自らの意志で選んだもので、その第1条で「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」としています。
帝国という言葉がすでに天皇を元首とする国という意味であり、日本は天皇によって支配されると謳っています。
また国民は臣民(しんみん)とされ、天皇の支配対象であり天皇によって生きる恩恵を受け、天皇への絶対的服従が規範とされました。
天皇は「現人神(あらひとがみ)」と呼ばれて全権力を持っており、しかも権力行為においてはいかなる政治的・法的な責任も負わないとされました。
国会は天皇の協賛機関であり、内閣は天皇の輔弼機関(天皇の政治を助ける機関)裁判所は天皇に対して責任を負うとされ、現代でいうところの三権(司法・行政・立法)はすべて天皇にありました。
いわゆる天皇主権ということです。
日本国憲法では第1条で天皇の地位について「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」と規定しています。
ちょっと難解なところもありますが、天皇は大日本帝国憲法の下でのように日本を支配・統治する存在ではないということです。
そして第4条で天皇は国政に関する権利を持たないとされ、政治に関与することは認められていません。
国会も内閣も裁判所も独立した権限を持ち、このことにより国民主権が認められたわけです。
これは余談ですが、日本国憲法が制定される際に欧州諸国は天皇制の崩壊を望んでいたそうです。
GHQ(連合国最高司令官総司令部)最高司令官のダグラス・マッカーサーは日本国憲法の草案を作成するにあたって「天皇制が崩壊すれば日本人の心の拠り所がなくなってしまう。そうなれば日本の国そのものがまとまらなくなってしまう可能性もある」と、天皇制を維持しながら民主主義国家を目指す憲法草案を目指しました。
天皇制が残ったのはマッカーサーのおかげだったんですね。
戦争の放棄
憲法解釈の問題はさておき、日本国憲法は平和憲法と言われ第9条に戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認が規定されています。
大日本帝国憲法には兵役法に基づいた徴兵の義務があり、その期間は陸軍や海軍、現役や予備役などでも違いますが通算で10年を超す非常に長いものでした。
これにより第2次世界対戦末期には若者が次々と戦場へと駆りだされていきました。
大日本帝国憲法に規定されている以上、兵役を拒否することは憲法違反になってしまうからです。
まとめ
大日本帝国憲法と日本国憲法の違い
- 天皇の存在意義(それによる国民主権)
- 戦争の放棄
大日本帝国憲法がどんな憲法であったかを知ることで、今の憲法の素晴らしさを再認識することができます。
憲法解釈をめぐる問題や、憲法改正の声が上がるなか日本の歴史を振り返り、日本がどんな方向に向かおうとしているのかをじっくり考えてみるの時期に来ているのかもしれませんね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。