1年は365日ってことは誰でも知ってますよね(うるう年は別です)。
1年は12ヶ月なので、単純に考えれば30日の月が7ヶ月と31日の月が5ヶ月でいいと思いませんか。
どうして2月だけ28日と短いのでしょうか。
また、30日と31日の月はどうやって決まったのでしょうか。
今回はそんなところについてご紹介します。
2月が短い理由とは?
2月が他の月と比べて2日も3日も短いのには特にメリットはありませんよね。
どうして2月だけ短いのかは暦(こよみ)ができた歴史と深い関係があります。
私達が使っている暦の元となったものは、紀元前8世紀頃に王政ローマの初代の王であるロームルスが制定したロムルス歴です。
その後、暦は改良されていき次のような変遷をたどりました。(実際にはもっと多いようですが、今回のテーマに関するものだけ挙げました。年代については諸説あります。)
ロムルス歴(B.C.753)→ヌマ歴(B.C.713)→ユリウス暦(B.C.46)→グレゴリオ暦(A.D.1582 現在の暦)
ロムルス歴
人々の多くが農業に従事していた当時は、種のまき時や収穫時期を知るための暦が必要でした。
この暦には30日と31日の月が10ヶ月あり、その始めは作物が芽を出す3月とされ、3月から12月までが1年というものでした。
農作業がない1月と2月は暦がなかったわけです。
ちなみに、ロムルス歴の3月はマルスの月という意味でMartius(マルティウス)、同じく4月はAprīlis(アプリーリス)と呼ばれ、今の英語のMarch(マーチ)、April(エイプリル)の元になっています。
(5月はMāius・マーイウス、6月はJūnius・ユーニウスで、それぞれMay、Juneの元になっています。)
月 | 日数 |
3 | 31 |
4 | 30 |
5 | 31 |
6 | 30 |
7 | 31 |
8 | 30 |
9 | 30 |
10 | 31 |
11 | 30 |
12 | 30 |
ヌマ歴
ロムルス歴が制定されてわずか40年後に、次の王であるヌマ・ポンピリウスが暦を改定しました。
当時は偶数は縁起が悪い数字とされ、30日の月をすべて29日にしました。
そして、1月と2月を加えて1年を12ヶ月とし、2年に一度2月を23日にして2月の次に27日あるいは28日の閏2月を入れました(閏年)。
2月は清めとお祓いの月であり、日数が偶数でも良かったようです。
ヌマ歴の1年間は355日で、閏年を入れた2年間では732日か733日になり、1年平均では366日か366.5日。
365日にだいぶ近づいてきました。
月 | 日数 | 閏年のときの日数 |
3 | 31 | |
4 | 29 | |
5 | 31 | |
6 | 29 | |
7 | 31 | |
8 | 29 | |
9 | 29 | |
10 | 31 | |
11 | 29 | |
12 | 29 | |
1 | 29 | |
2 | 28 | 23 |
閏2 | 27or28 |
ヌマ歴では日数の調整をするのに一番最後の2月を使っていたことが重要になってきます。
ユリウス暦
ヌマ歴で閏2月を入れるのってなかなか面倒ですね。
政治的な混乱や戦争などで閏2月が正しく挿入されなかったことで、共和政ローマの独裁官だったユリウス・カエサルの時代には実際の季節と暦が大きくかけ離れてしまっていました。
ユリウス・カエサルってあまり馴染みのない名前なんですけど、英語名でジュリアス・シーザーって言えば誰でも聞いたことありますね。
カエサルはヌマ暦の改革に着手し、1年を365日、4年に1度を閏年として366日とし、29日の月を30日または31日に変更しました。
この頃の閏月は2月29日を設けるというものではなく、宗教的に何の関連もなかった2月24日を2回繰り返すというものでした。
1年の始まりも1月からとしましたが、2月は閏年以外は28日間のままでした。(これにはちょっとした理由がありますが後述します。)
これはヌマ歴のときもそうであったように、2月は清めとお祓いの月とされ、宗教的な色合いが強かったために手をつけなかったのだと考えられています。
これがユリウス暦です。
4年に1度の閏年は現在と同じなんですが、ヌマ歴の2月が1年の最後の月という意識が残っていたため、日数の調整はそれまで通り2月で行われました。
グレゴリオ暦
ユリウス暦では1年間の平均日数は365.25日になります。
しかし、実際の1年間の日数は365.2422日であり、ユリウス暦を長いこと使用しているとズレが生じてきます。
その値は128年間で約1日です。
1280年間では10日もズレることになります。
そこで、ローマ教皇のグレゴリウス13世がユリウス暦の改変を命じてできたのがグレゴリオ暦で、現在世界各国で使われている暦です。
ユリウス暦とグレゴリオ暦の違いは閏年を入れる頻度です。
ユリウス暦では閏年を4年に1回入れていましたが、グレゴリオ暦では400年に97回入れるようにしました(4.1237年に1回)。
これによって1年間の平均日数は365.2425日と、実際の1年間の日数とかなり近いものになりました。
こうしてみてくると古代では2月は1年の最後の月であり、1年間の日数を調整する月に使われていて、それが現在まで引き継がれていると言えます。
30日と31日の月の順番
2月が他の月より日数が短いのは分かりました。
それでは他の月の30日と31日の順番はどうやって決められたのでしょうか。
実はユリウス暦は最初は奇数月を31日、偶数月を30日と交互に設定されました。
そうすると、1年は366日になってしまうので2月を29日にしました。
そしてユリウス・カエサルは自分が7月生まれだったために、7月をユリウス(英語ではジュライ)と改名してしまいました。
1月=31日
2月=29日
3月=31日
4月=30日
5月=31日
6月=30日
7月=31日
8月=30日
9月=31日
10月=30日
11月=31日
12月=30日
次に暦をいじったのはユリウス・カエサルの後継者で初代ローマ皇帝だったアウグストゥスです。
自分もユリウスのように暦に名を残したいと、自分の生まれである8月をアウグストゥス(英語ではオーガスト)に改名し、日数も31日に増やしその後の月をずらしました。
8月を1日増やしたためにまた1年が366日になってしまい、それを解消するために2月を1日減らして28日にしたのです。
1月=31日
2月=28日
3月=31日
4月=30日
5月=31日
6月=30日
7月=31日
8月=31日
9月=30日
10月=31日
11月=30日
12月=31日
結果的に2月の日数はヌマ歴のままになりましたが、これが30日と31日の月の順番が決まってしまった理由です。
まとめ
- 2月が短いのは、古代ローマでは2月は1年最後の月とされ、日数の調整は2月で行われていたのが引き継がれている
- 30日と31日の月の順番は初代ローマ皇帝アウグストゥスのわがまま
いかがだったでしょうか。
ユリウス暦から1600年も経ってから暦が変わったなんて驚きだったですね。
それにしてもユリウス・カエサルが年の初めを1月としなかったら、新年の風情もずいぶん変わっていたでしょうね。
昔の人の知恵に感謝・感謝です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。