神社仏閣巡りが好きで名刹と言われているところにもよく行くんですけど、お寺の名前には西本願寺とか知恩院とか、〇〇寺や〇〇院というのがありますね。
お寺の名前で「寺」と「院」ってどんな違いがあるのでしょうか。
寺と院の違い
お寺の名前の構成
お寺の名前は基本的に次の三つの号と呼ばれているもので構成されています。
- 山号(さんごう)
- 院号(いんごう)
- 寺号(じごう)
具体的な例を挙げると、知恩院は華頂山知恩教院大谷寺(かちょうざん ちおんきょういん おおたにでら)、成田山は成田山明王院神護新勝寺(なりたさん みょうおういん じんごしんしょうじ)などとなります。
(成田山には金剛王院という院号もあります。)
基本は〇〇山〇〇院〇〇寺というふうになるわけなんです。
山号や院号、寺号がないお寺もありますが、お寺の名前を言うときに『かちょうざん ちおんきょういん おおたにでら』なんて長すぎるのでその一部を取って知恩院や成田山と言っているわけです。
山号とは?
仏教がインドから中国に伝わったとき、多くのお寺が人里離れた山の中に作られ、お寺の所在地を示すために山の名前がつくようになったというのが山号の起源とされています。
その後(飛鳥時代)日本に仏教が入ってきますが、そのころに建てられたお寺は権力者のもので、山に建てられたわけではないため山号がないお寺もあります。
平安時代になると、仏教は日本古来の山岳信仰と結びついてお寺は出家者の修行の場となり、俗世間から距離を置くために山奥に建てられるようになり、修業の場であることを示すために山号をつけるようになったということです。
院号とは?
名前に『院』がつくと高貴な感じがしませんか。
その昔(平安時代のころ)、天皇や皇族や公家が出家して僧になり住職を務めたお寺に朝廷から名乗るのを許されたのが院号です。
やはり高貴な名前なんですね。
今の時代では考えられませんが、かって江戸時代くらいまでは天皇家は仏教と深い関わりがあり、退位した天皇は上皇となり、上皇が仏門に下って住職になることもしばしばありました。
出家した上皇は法皇と呼ばれますが、歴代法皇は35人もいて第45代聖武天皇もそんな法皇のひとりです。
天皇って神格化された存在だったわけなんですけど、そんな天皇が退位後に仏教に帰依するなんて天皇も悩める存在だったんでしょう。
生前退位された明仁上皇さまが仏教に帰依するなんて考えられませんが、かって天皇家と仏教に深い関係があったころから見れば、今のほうが少し変わった状態なのかもしれません。
寺号とは?
寺号はお寺そのものの名称のことです。
お寺を建立した人や、そのお寺の総本山の偉い人がつけた名称です。
寺号の由来はいろいろありますが、経典に使われている文言から引用したものが多いようです。
お寺の呼び方はどう決まった?
お寺の名前(呼称)を言うときに〇〇山〇〇院〇〇寺では長ったらしいので、省略して成田山は山号のみを、平等院は院号のみを、清水寺は寺号のみが通称になっているわけです。
それではお寺の呼称はどうやって決まったのかというと、これには明確な根拠がありません。
そのお寺で修行している僧侶が使っていた呼称が自然に広まっていったということでしょう。
庵や坊って?
お寺にはまれに庵や坊がつく名前を持つお寺があります。
庵や坊にはどんな意味があるのでしょうか。
庵とは?
庵という字は「あん」とも「いおり」とも読むんですが、「いおり」といえば一休さんを思い出しませんか?
奇抜な言動も多かった一休さんですが、世俗を嫌った一休さんはお寺に住まず、火災にあった妙勝寺に庵を結び酬恩庵(しゅうおんあん)と名付けてそこで生涯を終えています。
「庵」の本来の意味は「草ぶきの粗末な小屋」なんですけど、このように「庵」がつくお寺は隠遁した僧が住んだ家がそのままお寺になったものです。
坊とは?
お寺で坊とはもともと僧侶が住む住居のことで、宿坊っていいますね。
僧侶のことをお坊さんと言うのもここから来ています。
坊にはほかにも大寺院に属する小さなお寺という意味もあり、お寺の名前になっているときはコチラの意味です。
終わりに
お寺の名前が通称で呼ばれているというのは少し意外でした。
どうしてそういう通称になったのかはよく分かりませんが、知恩院が大谷寺、清水寺が音羽山の通称だったらどうだったんでしょうね。
お寺の名前で私が一番驚いたのが比叡山延暦寺です。
延暦寺という名称のお寺はなく、東塔、西塔、横川の三つの地域とそこにあるすべての堂塔をまとめて延暦寺と言っています。
どうしてそう呼ぶようになったのかも調べてみたいところです。
(参考:京都駅から比叡山延暦寺への一番簡単な行き方!そのメリットは?)
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。