京都三大祭りのひとつである葵祭を例祭としているのが上賀茂神社と下鴨神社ですね。
上賀茂神社と下鴨神社は漢字は違うものの名前がよく似ていているので、何か関係があるのかな?と思う人も多いのではないでしょうか。
(かくいう私もその一人で、以前は下鴨神社を下賀茂神社だと思ってました。)
その疑問を解明すべく両神社を訪れたときにいろいろ聞いてきましたので、私の忘備録としても忘れないうちにここにまとめておきます。
みなさんが京都に旅行されるときの参考になれば幸いです。
両神社に祀られているのは親子
上賀茂神社
上賀茂神社という名称は通称で、正式には賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)といいます。(「かもべつらいじんじゃ」ではないですよ。)
そしてここに祀られているのは賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)です。
以下は上賀茂神社のパンフレットに書かれてあったものをまとめたものです。
賀茂神話によると、その昔京都に移り住んだ賀茂一族の姫である賀茂玉依比売命(かもたまよりひめのみこと)が川で身を清めていると、上流から丹塗(にぬり)の矢が流れてきました。
姫がそれを持ち帰って寝床に祀って寝たところ、御神霊の力によって御子を授かりました。
御子が元服したとき、多くの神を招いて催した宴で一族の長で祖父でもある賀茂建角身命(かもたけつみのみこと)が御子に、「父親と思う神に盃を捧げよ」と御子に盃を渡したところ、御子は「我が父は天津神なり」と答えて雷鳴と共にそのまま天に昇ってしまいました。
もう一度御子に会いたいと願っていた賀茂玉依比売命の夢枕に御子が現れ、「吾に遭はんとには、馬に鈴を掛けて走らせ、葵かつらのかづらを造り、激しく飾りて吾を待たば来む」と伝えたのでそのとおりにしたところ、天より神として神山にご降臨されました。
この神が賀茂別雷大神というわけです。
上賀茂神社の二の鳥居をくぐるとすぐ前に細殿がありますが、その細殿の前に二つの円錐形のやや大きな砂山が見えます。
実はこれ、賀茂分雷大神がご降臨された神山を模して作られたもので、立砂と呼ばれています。
そしてこの立砂をじっくり見てみると、向かって左の立砂には3本、右の立砂には2本の松の葉が差し込んであるんです。
何でもこれは神様が現れてくれるようにという意味があるそうです。
上賀茂神社に行かれたらそんなことを思い出しながら立砂を観察すると、昔の人の想いを感じられるかもしれませんね。
下鴨神社
下鴨神社という名称も通称で、正式には賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)といい、御祖とは親のことです。
ここに祀られているのは賀茂分雷大神の母親である賀茂玉依比売命(かもたまよりひめのみこと)と、祖父である賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)の二人の神様です。
つまり、親子三代の神様のうち上二代の神様が下鴨神社に、一番下の代の神様が上賀茂神社に祀られているというわけなんです。
上賀茂神社と下鴨神社の関係
上賀茂神社と下鴨神社はもともと一つの神社で賀茂社と呼ばれていました。
先に創建されたのは下鴨神社でしたが、上賀茂神社の例祭である賀茂の祭り(今の葵祭)に人々がたくさん集まって武器を持ったり馬上で弓を射たりしたのを脅威と感じた朝廷が、上賀茂神社と賀茂県主(かものあがたぬし・賀茂別雷大神の子孫)を分断させようと下鴨神社に分社したのだと言われています。
ちなみに、下鴨神社が創建された年は定かでなく、崇神天皇(すじんてんのう)7年(BC90年)には神社の瑞垣の修造がおこなわれたという記録があるので、創建はそれ以前のことと考えられていて、上賀茂神社が創建されたのが天武天皇7年(AD678年)だとされています。
いずれにしても上賀茂神社も下鴨神社もその起源は明確にはされていなくて、上賀茂神社も下鴨神社もともに豪族であった賀茂氏の氏神が祀られていることから、賀茂一族の勢力はそれほど強大であったということがうかがわれます。
下鴨神社が下賀茂神社とされないのは何故
上賀茂神社のご祭神は「賀茂分雷大神」で、下鴨神社のご祭神は「賀茂建角身命」と、どちらも「賀茂」の字が頭に使われているのに、どうして下鴨神社は下賀茂神社という字を充てないのでしょうか。
実は、賀茂御祖神社の通称を下鴨神社とするようになったのに確かな説はありません。
古い文献には「かも」という字は「賀茂」「加茂」「鴨」の三つの字が充てられ、統一されていません。
長い間にいつしか「下鴨神社」という通称が主流になったということではないかと思われます。
参考までに、下鴨神社は鴨川と高野川が交わる三角地帯に存在するのですが、その合流点より下流を鴨川、上流を賀茂川と表記されています。
これは近くに下鴨神社があったからではないのでしょうか。
特別参拝
私が上賀茂神社と下鴨神社を訪れたとき、京都市観光協会が「京の夏の旅」という企画をしていて、両神社とも特別参拝が行われていました。
上賀茂神社の特別参拝では写真のような清掛(きよかけ)をもらい、直会殿(なおらいでん)でちゃんとした装束を身に着けた神主さんから上賀茂神社の由来などのお話を面白おかしく話していただき、そのあとお祓いも受けました。
続いて改修中の楼門の檜の張替えを間近で見学させていただきました。
神主さんに「檜の皮の寿命は40年くらいで、次の檜の皮の張替えは40年後になります。そのときも是非お越しください。」と言われました。
アラカンの私がそのときまで生きていられたらスゴイですね。
上賀茂神社は式年遷宮の真っ最中なんでしたが、重要文化財や国宝は壊すことができないために伊勢神宮のように建て替えることができず、本殿や楼門は傷んだ箇所を修復するだけだそうです。
そして、2,000円を支払って屋根の修復に使う檜の皮に住所や名前を書いて奉納する檜皮奉納をしてきました。
昨年行った仁和寺でも瓦を奉納する「思い出瓦奉納」をしてきましたが、その瓦も2,000円でした。
「瓦も檜の皮も同じ値段か」と思ったんですけど、これも世界文化遺産を守るためだし、何十年も私の名前が残るからと納得して納めてきました。
下鴨神社の特別参拝で話をしてくれたのは神主さんではなく、ボランティアのような方でした。
説明の仕方も極めて事務的で、二人目のおじさんは滑舌が悪くて早口なので何を言っているのかさっぱり分かりませんでした。
ここらへんはちょっと改善してもらいたいですね。
上賀茂神社では「京の夏の旅」のときだけではなくても特別参拝ができますので、行かれたら参加することをおすすめします。
料金は500円です。
ただし、上賀茂神社も下鴨神社も特別参拝中に写真撮影をすることはできませんのでそのつもりで。
まとめ
- 上賀茂神社の正式名称:賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)
- 上賀茂神社のご祭神:賀茂別雷大神(かもわけづちのおおかみ)
- 下鴨神社の正式名称:賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)
- 下鴨神社のご祭神:賀茂玉依比売命(かもたまよりひめのみこと・賀茂分雷大神の母)・賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと・賀茂分雷大神の祖父)
- 上賀茂神社から分社化されたのが下鴨神社
- 下賀茂神社とされないのは下鴨神社が通称として主流になったためか
京都には実にたくさんの神社がありますね。
そしてどの神社にも神様が祀られています。
これだけ多くの神社があると、昔の人は本当に神様を見ていたのではないかと思ってしまいます。
もしもタイムマシンがあったら、そのころの人々の生活や信心ぶりを見てみたいものですね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。