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日中戦争は抗日戦争か? 盧溝橋事件について

 

日本では7月7日は七夕ですね。

しかし中国では七七事変が起きた日として

人々の間で記憶されています。

 

七七事変とは日中戦争の引き金になった

盧溝橋(ろこうきょう)事件の中国での呼び名です。

 

1937年から1945年まで日本と中国が戦った日中戦争を

中国側は侵略してきた日本に抵抗して戦った

抗日戦争だったと位置づけ、そう呼んでいます。

 

はたしてそうだったんでしょうか?

ここでは日中戦争について私なりの見解を書いてみます。

 

但し、歴史的な確証などありませんので

あくまでも「そんな見かたもあるんだ」程度に留めておいてください。

 

 

 

 

 

盧溝橋事件

 

盧溝橋事件は1937(昭和12)年7月7日に起きました。

永定河にかかる盧溝橋付近での演習を終えた日本軍に

中国兵が暗闇のなかから突然発砲してきたのです。

 

日本軍は演習のため実弾を装備しておらず

丸腰の日本兵に向けて銃弾が打ち込まれたわけです。

 

この演習は中国側にも事前通知されていて

その後日本軍はいったん撤収し、盧溝橋近くにいた

蒋介石率いる国民党軍にも撤収を要求しました。

日本としては国民党軍が撃ってきたと思ったわけです。

 

しかしその交渉をしているさなかの8日未明に

永定河の西側から再び銃撃を受け

日本側もやむを得ず応戦しました。

 

そして日本側、中国側ともに数十人の死傷者がでました。

これが盧溝橋事件です。

 

その後、中国側の要求によりいったん停戦協定が結ばれましたが

中国側は盧溝橋から兵を撤退させる約束を守るどころか

兵を増員し、日本軍に銃撃を加えてきました。

 

さらに日本軍は盧溝橋以外の地でも中国軍による

だまし討ちや襲撃に遭い、ここに来てついに日本側は

それまでの事件不拡大の方針を捨て

7月28日に全面攻撃を開始するわけです。

 

これが日中戦争の始まりです。

 

こうして見てくると、日中戦争を仕掛けたのは日本ではなく

そうなるように仕向けたのは中国のほうだと言えます。

 

従って日中戦争は抗日戦争などではなく

中国の挑発行為によって起きた戦争と言えるのではないでしょうか?

 

 

 

盧溝橋事件を仕掛けたのは誰?

 

 

盧溝橋で日本軍が銃撃を受けたとき

日本側は撃ってきたのは現地付近にいた

国民党軍だと思い込んでいました。

 

しかし現実は違っていたのでは?

 

当時の中国の情勢をみてみると

蒋介石率いる国民党と毛沢東率いる共産党

政権を争っていて、国民党が優位な立場にありました。

 

そして、ここからは私の推理なんですが

毛沢東は日本軍と国民党を戦わせ、双方が疲弊したところを狙って

一気に政権を奪うつもりだったんではないでしょうか?

 

そして盧溝橋で共産党軍に日本軍を襲撃させたのではないか

というのが私の考えです。

 

そのころの中国の人たちには満州事変による排日感情が強く存在し

毛沢東はそれを上手く利用したのだと思います。

 

実際、その後日本は広大な中国全土で

8年間もの戦いを強いられて疲弊し

中国共産党は内戦で国民党に勝利して中国全土を支配し

中華人民共和国を建国したわけです。

 

このように見てみると、盧溝橋事件は共産党によって

巧妙に仕掛けられた罠で、日本と中国国民党は

まんまとその罠にはまってしまったんだと思います。

 

 

まとめ

 

・盧溝橋事件は中国共産党が政権を取るために日本軍を利用しようと発砲して起きた

・日本はその策略にまんまとはまってしまった

・従って中国共産党に仕掛けられた日中戦争は抗日戦争ではない

(これはあくまで私の推論にすぎません)

 

 

中国は慰安婦問題などの戦争責任を日本に認めさせようとしています。

そして海洋進出にも躍起になっています。

 

今や日本を抜いて世界第2位の経済大国になった中国。

アメリカとともに世界のリーダーとして

懐の大きいところを見せて欲しいと願っているのは私だけでしょうか?

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。