葬儀・告別式・お葬式の違い!チンポンジャランは何のため?

私くらいの年齢になってくる、町内の方が亡くなったようなときには家族を代表して葬儀に出席することになります。

町内の方が亡くなると家々に設置してある音声告知器で知らせてくれるのですが、そのなかで「告別式は◯月◯日午前10時から◯◯ホールで行われます」と案内があります。

そして、当日は斎場で最初に「これより葬儀並びに告別式を執り行います」と案内されます。

慶弔事にうとい私は「葬儀」と「告別式」は違うのかと思っても、恥ずかしくて人に聞くことができません。

そこで今回は葬儀と告別式、そして葬式は何が違うのか? 

また、告別式の流れがよく分からないなかで特に不思議に思っているお坊さんたちが鳴らす鈴や太鼓、シンバルのような鉢、いわゆるチンポンジャランは何のために鳴らすのかについて調べてみました。

 

 

 

葬儀とは?

葬儀とは故人の死を悼み、冥福を仏様や神様に祈る宗教儀式です。

日本では葬儀の9割以上が仏式で行われているそうですが、仏教では「人間は死んだら終わり」なのではなく、肉体は死んでも魂は永遠の生命の源に帰ると考えられています。

「極楽浄土」とか「あの世」と言われているところですね。

ところが、長いこと物質である人間として生きてきて地上界に留まってしまったために未練が残り、魂はなかなか生命の源へスッと帰れない。

そこで、お坊さんがお経を唱えて魂を諭し、「安心してあの世へ旅立ってちょうだい」という儀式が葬儀なんです。

お通夜も葬儀に含まれます。

 

 

魂がお経を聞いて分かるかどうかは知りませんが、確かにお経を効いていると何故か気持ちが落ち着いてきますね。

私は母親が亡くなったときに一番短いお経と言われている般若心経を覚えましたが、般若心経を唱えているときには瞑想をしているときのように穏やかな気分になります。

 

告別式とは?

告別式とは文字通り故人に最後のお別れを告げる儀式で、間違えやすいのですが葬儀とは違う意味合いのものです。

弔電の披露や近親者以外の参列者による焼香は告別式に含まれます。

 

 

かっては葬儀と告別式は別々に行われていたそうですが、最近は斎場で両方を一緒に行うことが多くなっているため、葬儀と告別式が別のものだという理解が薄れてきたのでしょう。

 

お葬式とは?

葬式という言葉は「葬儀」と「告別式」という二つの言葉を合わせた言葉で、葬儀も告別式も葬式のうちです。

こちらも葬儀と告別式を斎場で一緒に行うようになったため、斎場で行うのがお葬式と考えがちですが、お通夜もお葬式に含まれます。

お通夜はもともと親族や親しい人だけが徹夜で魔除けの線香の火を絶やさないように灯し続け、故人の思い出話などをするという限られた人が行うものでしたが、最近では葬儀に参列できない人のために誰でも来られる時間が短いものに変わりつつあります。

ただ、親族が夜通し線香の番をすることは続けられています。

私も母親のお通夜のときはほとんど徹夜で、さすがに葬儀当日は頭がボーッとしてました。

 

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チンポンジャランは何のため?

葬儀のときには御導師様というその家の菩提寺の和尚様と、役僧と言われるお手伝いのお坊さんがいて御導師様の両脇に座ってお経を唱えます。

(私の地域では役僧を三人呼ぶことを片鈸[かたはち]、六人呼ぶことを両鈸[りょうはち]と言ってます。)

その役僧が葬儀の途中で楽器で「チンポンジャラン」と大きな音を立てますが、チンと鳴るのは「引磬(いんきん)」、ポンと鳴るのは「太鼓」、ジャランと鳴るのは「鐃鈸(にょうはち)」といいます。

 

 

この儀式を鼓鈸(くはつ)と言い、曹洞宗や臨済宗の葬儀で行っているそうです。

 

今ではほどんど見られなくなりましたが、昔は野辺(のべ)の送りという儀式があり、葬列を組んで鼓鈸をしながら遺体を火葬場まで運んでいました。

引導を渡すのはそれからでないと行えず、今でもそれが名残りとして葬儀の途中でチンポンジャランが鳴らされるということらしいです。

 

また、ほかにも故人の霊をあの世に送る合図であるという話もあります。

「こちらのことは心配しないで、チンポンジャランの合図で安心して旅立って下さい」ということなんでしょうか。

甲子園で攻撃前に歌われる応援歌のようなものですね。

 

チンポンジャランは私達が住んでいる地域では当たり前なんですけど、行わない宗派もあり、初めて聞いた人は「荘厳な葬儀の場で何故あんな大きな音を!」と驚かれます。

葬儀に参列した子どもたちには大人気なんですけどね。

 

終わりに

葬儀のやり方は宗派や地域によって違いますね。

私の家は曹洞宗なのですが先日参列した臨済宗の葬儀では、チンポンジャランが何度もありました。

それに葬儀にはまだ遺体が棺に安置されていて、私が住む地域では葬儀のときには既にお骨になっているので、ちょっと違うなぁと感じました。

 

そして時代とともに葬儀のやり方も変わっています。

私が小さかった頃にはまだ野辺の送りがあって、お年寄りが亡くなると竹竿の先に荒い目の丸いザルのようなものをつけ、その中に硬貨を入れて道々その硬貨を撒いていました。

天寿を全うしたからそのお祝いだったらしいですが、子供はそのお金を拾うのが楽しみで、「だれか年寄りが死なないかな」なんてバチあたりなことを考えてました。

 

これから先、葬儀はどのように変わっていくのでしょう?

どのようになろうとも、人は常に永遠の生命の泉につながっているのだということは忘れすにいたいものです。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。